
朝まで飲める 京都のバー、バー検索、時間帯によっては同業者御用達のバーA・Iです。河原町通り、ロイヤルホテルの北にあります
JACK DANIEL’Sと京都随一の品揃え:和ラム酒
Made in Japan
かなりヤリます
飲めばわかります、はまります、美味いの一言です。
小笠原諸島では、開拓初期(1830年頃)の欧米系定住者が捕鯨船とラムの取引を行っていました。1876年に日本領土に確定してからは、亜熱帯の気候を生かし、サトウキビの栽培が行われたのです。このサトウキビを使った製糖業が盛んになり、製糖の過程で粗糖を取り出した際に生ずる副産物、つまりモラセス(廃糖蜜)を発酵させ、そうしてできた醸造酒を蒸留することで作った蒸留酒を、島民は「泡酒」や「蜜酒」などと呼び、飲むようになりました。以後、太平洋戦争中に島民が強制的に本州などへ疎開させられるまで、永く愛飲されることになります。
小笠原諸島は太平洋戦争中にアメリカに占領され、戦後もそのままアメリカが統治していましたが、1968年に日本に返還。その後、疎開先から徐々に小笠原に戻ってきた旧島民にとって、疎開前に愛飲していた地酒のラムの味は忘れがたいものであったらしいです。
こうした独自の歴史背景から、日本に返還後、ラムの製造も行われるようになりました。
第二次世界大戦後のラム製造としては、徳之島にある高岡醸造が1979年から作っている、ルリカケスが国産ラムの第1号。なお、徳之島を含む奄美群島では黒糖焼酎が作られており、戦後アメリカが占領支配していた時期(1953年の本土復帰ごろまで)には、黒糖だけで蒸留酒(黒糖酒)が作られた例もありますが、オーク樽による熟成が行われることはなかったため本格的なラムとはいえないかも、です。
ラムと現在の奄美黒糖焼酎の違いは、ラムには使用されない米麹が、黒糖焼酎では日本の税法上の規定のために必ず使用される点と、黒糖焼酎はモラセスではなく、固形の黒砂糖を使用する点となります。
続くバブル期の空前の地ビールブームの中、村おこしの一環として小笠原ラム・リキュール株式会社が設立され、小笠原の地酒としてのラムが復活し、1992年に製品化されました。
21世紀に入ると製造者が多様化しました。沖縄県の南大東島で生産を行っているグレイスラムは、元々酒造業とは無関係な沖縄電力ベンチャーという異色の存在です。グレイスラムはサトウキビの栽培が盛んな南大東島の利点を活かし、基本的にサトウキビの産地でないと作れないアグリコール・ラム(農業ラム)の生産を行っていますね。
2007年には、高知県の菊水酒造よりラムが発売されました。同社は、1849年頃から栽培の歴史があり、1950年には日本一の生産量を誇った高知県のサトウキビ栽培を復活させるべく、黒潮町にて栽培、アグリコールラムの製造を行っています。同社のヨコスカ・ラムはサトウキビの北限とされる静岡県大須賀町(現・掛川市)で作られたサトウキビを原料に製造したアグリコール・ラム。ヨコスカラムについては、面白い逸話満載ですので、カウンターで私から直接どうぞ(笑)。
イエ・ラム・サンタマリアは、沖縄県の伊江島で2011年7月から販売されているアグリコール・ラムです。
滋賀県のナインリーヴズは2013年に開業した本州初のラムブランドで、黒糖を原料に用いています。世界的なラム品評会RHUM FEST PARISにて2014年度のイノベーション部門銀賞を日本のラムのブランドとしては初めて獲得した、すばらしい出来栄えです。
香り、あまーいキャラメルと蜂蜜のようであり樽の感じもまたあり。味、アルコールの嫌味は無くまろやかに甘みが広がりのちに樽の渋みがなんとも言えず心地良いです。 まさに魅惑の味と言いましょう。
ロックまたは小量の水と氷でお楽しみ下さい。小量を生でクイッと飲むのも美味しいです。

京都市 朝まで飲める 和製ラム酒 バー

京都市 朝まで飲める 和製ラム酒 バー

京都市 朝まで飲める 和ラム酒 バー

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